地元はまさに田舎で、夜がちゃんと暗い町です。
学生時代、夜遅く友人の家から帰る際は急いで自転車を走らせることも多々ありました。
川沿いの道、古いトンネル、ぽつんと一軒だけ建つ空き家。
そこら中に幽霊はいました。
路肩や車庫の影に佇んでいたり、窓やミラー越しにこちらを覗いていたり、路上にはみ出た木の枝に上半身をぶら下げていたりもしました。
目を合わせまいと視野を狭める意識で帰路を急ぎます。
彼らは声も掛けてくるので、耳を塞ぎたいところですが、自転車の速度を上げ風切り音でなんとか誤魔化していました。
後ろから車が近づいてくると、人の存在に安心するんですが、同時にその車の後部座席からこちらを別の乗客が睨んでいることにも気づきます。
酷い時は家の玄関を開けるまで、触れるか触れないかの距離でずっと付いて来るんです。
これだけ怯えていたにも関わらず、僕は一度も幽霊を見たことがありません。
上記の存在も、とにかくそんな気がするという想像です。
歳を重ねると、地元の同じ道を夜中に歩いても恐怖を感じることはなくなりました。恐怖の対象が変わってきたんだと思います。未だに、ここは少し…とザワつく道もまだありますが、幽霊よりも物陰から獣が出そうで。猪とか猿が出るような田舎なんです。
怪談話やホラー映画のバリエーションは増え、昼夜場所関係なく幽霊は存在しているんだと恐れる条件は増したはずなんですが。
子どもの頃は確実に存在していました。クラスメートの、町中の、おそらく全世界の子どもたちの間で周知の事実でした。禍々しいものがいる。
ただそこから、あまりにも長い時間をかけて身に沁みてしまったんです。幽霊は見えない。
そしていつまで経っても見えないと、存在は薄れます。気にかける優先順位が低くなる。幽霊だけではないですが。
しかし、地元には僕と違い「見た」友人も何人かいて。
友人が二人で車に乗り山道を走っていると、前方からフロントガラスをすり抜けて人の顔が車内を通り抜けたそうです。
顔が見えた友人は助手席に座って少しの間黙っていましたが、堪えきれず運転していたもう一人に「ねえ、今…」と話しかけると。
運転していた友人は「黙れ!言うな!分かってる!」と民家が見える道まで山道の枝に車を擦らせながら荒い運転で急いだそうです。
youtubeでも怪談話を聞くのが好きで見聞きしているんですが。
つくづく、何で自分には見えないんだろうと少々悔しくなってきました。
育った環境としては中々良い条件だったと思います。人は少なく夜は真っ暗、山も海もあり、墓地も大変近かったです。愛犬の散歩コースでした。
僕自身も臆病で「見せがい」があったと思います。
確かに霊感みたいなものは身についていません。くじ運も良くありません。ギャンブルもダメです。そういう第六感的な鋭さはありません。球技が苦手です。
球技は関係ないと思いますが、先程の車の話の二人はサッカーが上手いんです。ギャンブルもそこそこ勝ちます。
実際、やはり見える人は感性が人より優れているんじゃないでしょうか。スポーツやギャンブルにも必要な要素かと。
有名人、著名人は見える人が多いとも聞きます。作品づくりを志す者としては、やはりそちら側の人間でいたいと。
見えてしまうとやはり恐ろしいのかもしれません。良いことなどなにもない気もします。見えると気が狂うから脳が制御しているという説もありますよね。
でも「一度でいいから見てみたい」という学生時と真逆の願望が芽生え、改めて想像します。いま、玄関に何かいる。背後にいる。顔だけが浮かび、腕だけが生えている。耳元に聞こえない声で話しかけてきている。ずっと彼らと目があっている。
いつか見えたら報告します。
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