撮影終わり、雑談(酒井)

どうも、お久しぶりです。
最近は撮影やらをやっていまして、今編集ソフトの処理待ちで、久々にこのブログを書いてます。

撮影していた内容の告知についてはしばらく後になると思います。
そして、ご協力くださった皆様、本当にありがとうございました。

さてさて、随分久しぶりに撮影をしたので、もう毎度のことながら、初めて撮影をするような気持でいました。
不安、焦りが95%。学生時代は時間をかけ、探ることもしていましたが、もうスタッフもキャストも、皆さん仕事でやっているわけですから、そのような趣味で長々とやることはよくありません。
結果、連日、結構なハイペースでの撮影となりました。平均撮影1時間でオーケーテイク使い尺1分ちょっとというところでしょうか。
しぜんそのようなペースで質を求めると、カット割を細かく計算するよりも、1カットは長くするほうが効率的なことが多いということも勉強になりました。
もっとも、いくつかのシーンでは細かいカット割のシーンもあります。
見事なスタッフの方々の仕事の迅速さに、(あぁ、こりゃ遅れたら言い訳できない…)と内心慌てていましたが、悟られぬようにポーカーフェイスを貫き、おそらくバレてはいたのでしょうが、無事に撮影を終えることができました。

百々君の提示する撮影労働時間内にはゆうに収まったのではないかと思います。
しかし、では美術装飾や、制作、シナリオ、ポスプロの労働量(or時間)はどう計算するのか、それは我々の中でも今後の課題となるのでしょう。例外はやむをえないところもありますが、例外には例外のルールを新たに設けなければ、次第に形骸化してしまいます。まさに日本ではあらゆる労働、至る所で、ルールは設けたもののそのような形骸化は起こっているでしょう。
(出退勤カードは押すが、毎月残業時間が違法になるために、結局書き直す、などというのも良く聞きますが)
もし形骸化してしまうと、ルールはルールではなく、建前としての「外向けのアピール」に過ぎず、それは最もダサく寒いことなので、これは考えていく必要があります。

確実なことは、我々の課題は
・時間のためには人員を増やすほかない場面が多い
・しかしながら、人員を増やせば単純計算的に仕事が効率化する、とは限らない
という2つの事です。
小さな撮影団体として、その小ささの利点と、妥結点(「妥協」ということばは創作現場ではポジティブに聞こえないでしょうが、ある程度の「妥協」ほど創造性のある匙加減もありません)を見つめて楽しく作り続けるためには、そのような同じ問題意識と課題を一緒に考えていく仲間が必要です。
有難いことに人に恵まれ、おぼろげながら見えてきたところでして、本当に探っていくのは今後の作品と、それに費やす時間をかけてになるのだろうと思います。

ま、作り続けられる機会とお金、環境があればの話ですが、今は運を信じましょう。

酒井

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