『バーバリアン』『セイント・モード/狂信』『クローブヒッチ・キラー』/酒井

年を取ったからか、単に個人的なものかはわからないが、琴線がダボダボになり、物事への集中力と興味が極端に落ちてきた。
なんとなく、社会的なものではないか、要因は案外外側にあるのでは、と数年前から思っているものの、そうではない人も多いだろうし、未だにわからない。
そんなことはさておき、このようにネットには誰も見ない路地に、落書き用の壁が用意されているのだから(有難いことに百々君が用意してくれている)、僕もまあ、そんな社会的(or個人的)アパシーに飲み込まれ、有りもしない自分の内面を探るよりかは、それでも琴線に触れてきたもの。最後まで楽しめたものをたまに挙げて、適当な印象と感想を書いていきたい。

と、今回は『バーバリアン』というコメディホラータッチのトンデモ群像劇が一つと、ニューロティックスリラー『セイント・モード/狂信』、そして王道小説的犯罪サスペンス『クローブヒッチ・キラー』です。

『バーバリアン』はなんともまあ、全体として面白いとか面白くないとかは人によるだろうけど、常に飽きさせない工夫、エンターテイナー魂を久々に感じ、ワクワクさせられた一本で、無駄がなく、確実で、かつ個性への自惚れで観客にかましてくるわけでもない。きちっと娯楽感を維持し続けるべく全力を尽くした気持ちのいい作品で、ここ何か月か、スタッフ仲間にも「とっても好き」と言い続けてきたと思う。
ストーリーがどうではなく、展開と情報提示で楽しませる。なんと見事な。こういう、大ケッサク狙いではなく、見事な娯楽作への欲求が年を追うごとに増してくる。そしてそういう作品は減っている気がする。それこそ琴線の問題なのだろう。こういうことがやりたい。といってしまえばそれまでだが、そう思った。きちっと娯楽なのが最高だ。

『セイント・モード』もやっぱりストーリーはこういってしまえば古臭く、なんの捻りも無く、ひねる気も無いような気はするけど、なんだろう、全く飽きなかった。
これもやはり面白すぎない、というと失礼だが、ハードなパンチではない、というか。
寄りのつづく前半も、窮屈どころかエロティックに見えるのは、分析していないからわからないが、様々なものが積み重なった結果なのだろう。そういったものを呼び込める監督手腕とスタッフ・キャストの真摯さに良いなと思ったし、美、とエロティックは違うと思うのだが、なにか、すごく妖艶な、官能的なものを感じた久々の作品で、それだけで素晴らしいと思ったし、途中のバーのシーン、真似したくなるほど印象的。
「意味」としては主観ショットという風にコンテを考えているはずのカットが、監督の意向なのか撮影の意向なのか現場の制約なのか、はたまた偶然なのか、それがなんであれ、いわゆる記号的な主観とはちょっとずれた画になっている。この「意味におちつけなくてもいい」風通しのよさが素晴らしく、それは枠に落ち着けなくても良いという尊重として、芝居や他のところにも、能動的な労働の結果として表れているようにも思った。

『クローブヒッチ・キラー』これも、全体的にはうーんまあまあくらいの作品で、なんせそれが良い。後半がちょっと停滞、と言ってもまあそうはそうかもしれないけれども、それはその直前までのやや冷たく突き放した犯罪サスペンスの王道感の期待値爆上がりが過ぎたためで、久しぶりにずっぽりと惹きこまれた。脚本も演出も演技も撮影も、ある距離感を保った緊張感が本当に素晴らしい。こうあるべし、と思わされた。硬派でドライな犯罪群像劇にはずっと憧れがあって、その憧れを思い出させてくれた。

考えてみると、ストーリーや主人公の何かや監督の透ける個性(?)、などというものではなく、興味深い展開、飽きの無いシーンで、見終わった後の余韻や見ごたえなどはあまり関係なく、見ている最中の即時的な知覚的感覚的楽しみに特化した幕の内弁当的展開数珠繋ぎ作品が自分の好みであることが顕著になった。
面白い作品から、つまらなくない作品へと言うべきか。興味を惹き続けるための、情報提示の程よさと工夫も必要だ。
自分でもそういうものを目指したりもするわけだが、そうできたと、誰にでも胸を張れるものはまだない。難しいものだ。がんばろう

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