最近、またヴェーラに足しげく行っているので、面白かった三つの映画に共通点があって、その描写を考えている。
共通点はどれも、感情の高まり、恋の始まりに火を使っていることだ。これ自体は単純な気もするが、その使い方のバリエーションが面白い。
『港の女』(1928,ラオール・ウォルシュ)は、南の島で足止めを食った奔放な女性が、停留する軍人の一人と関係が深まるシーンで、男が加えた煙草に火をつけるのに、女が加えた煙草の火を使うので、顔をグッと近づけ、そのタイミングで、カメラもアップになり、画面パンパンに二人の顔が近づく。サイレントで無駄なく、二人の距離感が近づいたことが表現されている。
『拳銃魔』(1950,ジョセフ・ルイス)では、拳銃狂いの青年が、移動サーカスで拳銃使いをやっている女性(ブロンコビリーみたいなことで)と恋に落ちるシーン。客として観覧していた青年が、女性との射的勝負をすることに。
そこで、まずは青年がマッチを五つつけたヘアバンドを被って立ち、女はその一つ一つを撃って火をつけていく。
バン、バン、バン、バン、そして最後の一発を外す。これを撃っている方とタイミングよく燃えるマッチがどちらも映る角度から撮っている。一発一発の音に併せて、効果音の音階も上がっていく。
そして、次に男女交代。男も同様に撃っていくが、こちらは全て命中。拳銃を向けての見つめ合いが、拳銃に憑りつかれた二人の狂気的な恋を示すシーンになっている。
『奇妙な女』(1946,エドガー・ウルマ―)これまた最後が妙に寂しく、そして大変面白かった映画だが、これも欲しいものを手に入れずにはいられない女が、幼馴染の彼氏と恋に落ちるシーン。嵐の中で一晩雨宿りすることになった二人。外はひどい大雨とカミナリが鳴っている。暖炉の火で温めて、男は女が寝たのを確認する。沸き立つような欲望を、お互い抑えているのが表現される引きの二人の顔が見えるカット。ここでお互いに目を合わせていないハラハラ感!そして、堪らなくなった男は、女から距離を取って頭を冷やすために外に向かうドアを開ける。そのドアから暗い室内に激しい雷の光が入ってくる。と、その光はドア外の木に落ち、そして木が一気に燃え上がる。そして寝ていた女が遂に起き上がり一気に男に駆け寄ってキスをする!なんとこれがワンカット!すごい、すごすぎる。なんと贅沢な表現なんだ。
自主映画・低予算をやっていると、どうも表現がせこく、画面的な表現に時間と費用を費やす精神力が無い。もし表現するとしても、芝居と分離して、「実景」的な感じになってしまうかもしれず、これは本当に無粋だ。なぜなら、雰囲気の説明、以外のことではないからだ。そんな思いから実景はとにかく嫌いで、随分前から「酒井さん撮ろうとしないから、一応撮っておきましたよ」とカメラマンが気を効かせてくれる時も度々あったのに、まだ使った試しはない。(気を遣わせてしまって申し訳ない…)
しかし、どうせやるのであれば、やはり人物の芝居込みなどがやりたい、あるいは、単なる実景ではなくそれ自体に動きがあるとかなら良いんだけど。今度作る機会があったら、どこかでは、こういった画面的な表現に挑戦したいところだ。

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