健康について
よく「どういうモチベーションでやってんの?」
と聞かれるので。いつも(説明すると長くなるんだよなぁ)と思ってました。
なぜ長くなるかというと色んなことが積み重なって今の僕がいて、、、
シンプルに言えば「人生いつ終わるともわからないので、やりたいことをやっています」
ということなのですが、大体の人はそれだけだと納得してくれないことが多いです。
「それはそうだけど、、本当にそれだけ?」みたいな感じ
ということなので僕に興味がある人(多分いないけど)
もしくは僕と同じような病気で気持ちが参っている人や当時の僕に向けて発信してみようかと思います。
なるべく修飾を省いた簡潔な事柄と感想で記していければと思います。
僕は生まれ頃からアレルギー体質で、アレルギー性皮膚炎(アトピー)、アレルギー性結膜炎、アレルギー性鼻炎、気管支喘息などを持ち合わせて誕生したそうです。
ちなみに幼少期に睾丸を一つ失っています。腫瘍だったそうです。
子供の頃「クレヨンしんちゃん」のゾウさんのネタがいまいちピンときてませんでした。
だって俺のはゾウさんにならないもん。と(そもそも我が家ではクレヨンしんちゃんは禁止されていたが)
また43度の熱を出して生死を彷徨っていたそうです。
そしてお袋が運転する車の後部座席から投げ出されて交差点に落っこちたことがあるそうです。
生きてるって奇跡の連続の上になりたっていますね。
現代医療に感謝
子供の頃はドクダミの葉を焼酎につけたものをペタペタと風呂上がりに塗って絶叫していたのを朧げに覚えています。
痒いのも掻きむしるのも日常だったので(あと鼻詰まりも)
辛そうだね〜とか食べられるもの少なくてかわいそうだね〜などと言われると
(勝手に憐れむんじゃねぇ、こっちはそれが普通なんだよ)と心の中でヘイトしていました。
アトピー持ちにとっては血だらけのシーツはデフォルトなのです。
緑内障
高校3年生の頃
突然、立っていられないほど頭が痛くなり、空振りが多くなり(バドミントン部だった)体育の時間でバレーをした時顔面にボールがぶつかることがあり(元バレー部だった)、異変を感じました。
視界が濁っている感じがしたので病院に行っても「コンタクトが汚れてるんじゃないか?」の一点張りで、「そうか、僕が悪いんだな」と思っていました。
名医と言われていたその病院は仙台市青葉区中山の生協の裏にあったような、詳細を知りたい人はDMください
当時ダブルスを組んだ友達に「ごめん、見えないんだ」と何度か言ったら「言い訳すんなよ」と言われて
「あ、そうか(物理的に)僕の見えている景色と他人が見えている景色は違うんだ」
と体感しました。
人と人は分かり合えない(物理的に)
ということを知ったのはこの時でした。
とはいえこれは不味いなと思い。別の病院に行ってみたら
「なんでこんなになるまでほっといたの?即刻手術しましょう」
と言われ、大学病院に送られ、入院手続きをして手術日がきましました。
原因としては目から混入したステロイドが悪さをして眼圧が上昇して視神経を圧迫、死んでしまい視野が欠損していました。
カテゴリー的には「緑内障」という病気でした。
そういわれると当時の僕の眼球はカチコチだったような気もします。
みなさん眼圧には気をつけて!
当時の僕はどうだったかというと
入院&手術という厨二病には堪らないシチュエーションにすごくテンションが上がっていたと思います。
レアな体験できる!やった!くらいのノリ
そして間近で見る年上のお姉さんナースに恋をしていたりしてなかったり
実際手術の体験はとても有意義で、楽しかったです。
眼に麻酔注射する経験もそうそうできないだろうし、眼球に穴をあけることも稀でしょう。・
ただ同時に、なんで自分だけこんな目に遭わなければいけいんだろう。
世の中の浮かれた人たちを全員呪っていた時期もあったような気がします。
まぁあんまりクヨクヨしてもしょうがないので前向きになるしかった気はします。
とりあえずはロクに勉強もせす医者の言うままにステロイドの副作用を知らず塗りたくっていた自分に非があるな。とその時は思っていました。
いまでもドラゴンボールがあれば「ちゃんとした眼にしてほしい」と願うと思います。
もしくはモザイクオーガン手術でベースの生物を選ぶならモンハナシャコ一択です。
濁りもなく遠くまで見える眼があればどんなに豊かな景色だろう。と願わない日はないマジで。
『ブラックジャックによろしく』という漫画でガン末期の母親が「絶望って、いつもの景色をまぶしく見せるのね。」という台詞があるのだが、マジでそうだと思ったね。
同時期に入院していたフロアで知り合ったお母さんのお子さんが網膜移植を控えてるお子さんがいて、その子の壮絶な手術方法などを聞いたら自分なんてなんてことないな。
と思った。病院は育ちも年齢も、抱えている病気も違う人と出会えるからとても貴重な経験ができる。
アトピー×ステロイド投薬のリバウンド
ステロイドが原因で緑内障になったのだからステロイドをやめればいいじゃん
という凄くわかりやすい結論に至り、ステロイドをやめました。
季節は夏に差し掛かりつつ、退院した僕は学校に戻っていました。
受験勉強は特に苦もなかったし、同級生と花火なんかする余裕もあった気がします。
ところがある日朝起きたら全身から汁が溢れ、爛れていました。
爆裂な痒みに襲われ、顔も腫れ上がっていました。
これもとても大きな出来事でした。
一夜にして状況が変わるとはまさにこのこと。
自分だと思っていた人間が突如ゾンビみたいな状態になるのです。
約束された明日なんてない
思い返すと今でも湘南の風の『睡蓮花』にある「約束された明日なんてねぇ!」というフレーズが思い返されます。
この時まだリリースされてないけど
確かに濡れたまんま(肌が)でイッちゃってたわ(人生が)
事細かく書くととても長くなりますが、ここから脱ステ(脱ステロイド)の長い旅が始まりました。
最初は割とすぐ治るだろう。と思ってよくわからない民間療法に傾倒していきつつ半身浴や漢方などを行いながら引きこもり、出席日数が足りなくて卒業できない。
と言われてからは出席だけして早退したりしてなるべく高校の人に会わないようにしました。思春期だったんで
皮膚の状態が良くなったり悪くなったり、とりあえず受験は一旦捨てて治療に専念しよう。とひたすら半身浴したり岩盤浴したりして身体を温めてデトックスに励みました。
状態が良くなったら学校に通い、悪くなったらひとめにでず、いよいよセンター試験が近づいてくるのであった
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